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2015年9月22日 『財界』 (2015.9.22発行号 P138) 記事要約

  人生の転機    Turning point
イーパーセル株式会社 代表取締役社長 北野譲治

2000年9月の出会い

私が28歳で保険ブローカーの会社を企業後10年が過ぎた頃、米国ボストン在住の弊社創業者と面会した2000年9月は、私の人生にとって大きな転機だったと振り返る。

この出会いは、私の親友から届いた1通の電子メールがきっかけだった。友人は慶應・経済学部86年卒金時計で、当時、輸銀(現・国際協力銀行)のニューヨーク事務所駐在員だった。

ある日、友人はジェトロNYの講演会に出席し、その時のメイン・スピーカーを務めた弊社創業者と邂逅した。彼も、慶應・工学部83年卒金時計で、卒業後は大手電機メーカーの防衛部門で戦闘機の設計に従事していたが、MITに留学、卒業と同時に米国の地で起業した。

2人が何でも話し合える間柄になって以降、或る相談が友人に舞い込んだ。日本法人をつくりたい、と言うのだ。そのために、優秀なパートナーが必要なんだ、と。私に届いたメールとは、正にその依頼であった。

正直、私は軽い気持ちで創業者と会ったが、彼のほうは明らかに違っていた。そう、私をヘッドハントしようという意欲が満々だった。面談した数時間は、彼はビジネスモデルや経営ビジョンを熱く語り続け、共に事業をやろう、と一気に畳み掛けられたが、当時の私は小さいながらも会社を経営する立場であったから、即座に誘いを断った。

さて、時計の針を私の幼少期に巻き戻すが、私は、瀬戸内海に面する岡山の小さな田舎町で育った。本家が宮大工を生業としていたので、私の遊び場所はいつも大工小屋の中だった。真新しい木の香りが充満する小屋の中でノミやカンナなどの大工道具に囲まれて育ったからだろうか、大学では建築を学んだ。

しかし、若い頃の私は独立志向が強かったのだろう。建築とはかけ離れた損保業界に一旦は進み、その僅か5年後に退職。保険ブローカーの会社をつくって念願の起業を果たした。

事業は目標以上に順調に業績を伸ばし続け、何不自由のない社会人人生であったが、一方で保険ブローカーという事業モデルの爆発的な発展性の乏しさを痛感していた。そんな環境の中、インターネットが物凄い勢いで既存の産業構造の大転換を提供し始めていたので、私も今のままでは駄目だ、何かを変えなきゃ、という思いが強かった。

創業者との出会いとその後の幾度かの面談は、そんな心象風景の中で繰り返され、結果、私が起業したビジネス(会社)は当時の部下にそのまま譲る決心をし、2000年11月、一兵卒として、今の会社に移籍した。

現在は、私が代表として、米国創業会社が保有するすべての知的財産権を買い取って本社機能を移転し、全世界に事業を広拡大している。

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